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2007年03月05日

中島みゆきを部屋の端から出して全部聞く

先日、昔からの知り合いに「中島みゆきのCDが聞きたい」といわれ、その昔手渡した「CDは?」という話から、「知り合いに貸したっきり返ってこない」ということを聞いた。

パソコンを真剣に触るようになったのは今から7年くらい前。
それよりも先にパソコンに触って、それなりに遊んでいたのだけれど。
その知人と知り合ったころはCDを作ることに真剣になっていた頃で、まだホームページがどうというような細かなことは知らず、とりあえずデジカメは持っている。
PhotoShopはなんとなく使えて、でも何に使うかはよく分からない。
くらいにPCを使って遊んでいた。
CDを作ることは、ドライブや一人の部屋でリラックスして過ごせて、なおかつカメラと画像の加工ソフトで遊べるという一石二鳥のマイブームだった。

知人とは、たまたま中島みゆきが共通の好みで、どういうことからそうなったのかは良く覚えていないのだけれど、きっと「作りたい」という自分の気持ちと「聞きたい」という知人の気持ちが一致して手渡す事になったのだろうと思う。

「帰ってこないよ」ということを聞いて、「また作ってよ」という言葉で火がついて、昨日あたりから山積みになっているCDを引っ張り出して、とりあえずiTuneに“中島みゆき全集”を作っている。
まだまだ全部というには集めたり無い40枚近いCDを端から聞きながら、お気に入りの方々のブログを端から読んでいると、いつになくマジメなことが書いてあったりして、ついつい読み込んでいると感化される自分がそこにいて、久しぶりにココまで書き込んでみたりしている。

その知人に会う以前と、会ってからの自分は全く違う考え方を持つように意識をしたのを覚えている。
「一人になること」を全く考えず、考えていないのにも関わらず一人になりたいと思ったり。
本当に一人になったと実感したときの怖さを味わってなんだかワケの分からない時を過ごしているときだった。

マジメな気持ちの時にしか思い出さないし、今だから言葉にすることも出来るのだけれど、それまで平々凡々と暮らして、無害な友人と程好い温度の根気の中で過ごしていた時期だった。
ある日、その温度が高くなったり低くなったりして、居心地が悪くなったとき、助けてくれるはずだった友人は無害なだけでなくて無益でもあったような気もする。
友人に益を求めるのも変な話だけれど、一人でいるときに精神的に頼れるのは親兄弟よりも友人であると思う。
なのに、居心地の悪さに手を伸ばした先には掴み所の無いものしか残っておらず、そこで初めて自分の所在を考えた。

以上に少ない睡眠と、それからの何ヶ月かの間に出会った強烈な個性達のおかげで、それまでの仕事に正面から向き合うことをやめ、インターネットのお仕事への道を決めた。

その過程の中で、それまで自分の中にあった自分の所在をことごとく消し去っていく存在だった人や、自分が作り出したものに価値を見つけてくれる人や、そこにいることを肯定してくれる人がいることが分かり、その人たちと会うたびに脳みそから消えてしまいそうな大切なことをもう一度脳みそに書き直してくれる。

なんだか良く分からないことだけれど、懐かしい中島みゆきを聞いてるうちに、感傷的な気持ちと、最初に持っていた手探りでもやってみたいと思っていた気持ちを思い出したような気がした。

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2007年03月05日 00:09

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